右傾化する民主主義
2023年10月21日
右傾化進む民主主義国家
1章 パレスチナ問題から見るイスラエルの右傾化
10月7日パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスによるイスラエル側へのロケット攻撃とそれに対するイスラエル軍の報復攻撃で双方合わせて2000人以上の死者が出ています。またハマスはイスラエル人を人質として199人と主張しています。
これまでもハマスとイスラエルは小規模な戦闘がありましたが今回のような大規模な戦闘は数十年で初めてでした。
パレスチナ人アラブ人、イスラム教とユダヤ人(ユダヤ教)間の歴史は紀元前から綿々と続いており近代に至るまでは概ね友好的に共存していました。
関係が悪くなった最大の原因は1948年に国連でイスラエルを国家として認めてからだ。
アラブ陣営はイスラエルに対して4回も戦争を起こしており、全てイスラエルが勝利しています。
パレスチナ問題の根本的な原因について考察してみましょう。
20世紀の初頭、パレスチナの土地はオスマン帝国が支配していました。
1914年サラエボ事件をきっかけとし、同盟国ドイツ、オーストリア、オスマン帝国(現在のトルコ)ブルガリア王国対連合国、イギリス、フランス、日本、ロシア(後にアメリカが参戦)による第1次世界大戦が起こりました。
戦争当時、パレスチナの地はオスマン帝国の支配地で大方アラブ人が住んでいました。
中東の石油資源とスエズ運河の権益の為イギリスはトーマス・エドワード・ロレンス(アラビアのロレンスの映画主人公)にアラブ人ゲリラを利用して敵国オスマン帝国を攻撃させたのです。
現実には多数の戦死者も出ましたが独立国を持てると思い、アラブ人は勇敢に戦ったのです。
その一方で大戦末期の1917年にイギリス外相であるバルフォアが戦費を賄う目的とユダヤ人で盛り上がっていたシオニズム(注1)とを鑑みてユダヤ人財閥であるロスチャイルド家にパレスチナの地にユダヤ人国家を建設する用意があると記されたバルフォア宣言の書簡を送りました。
戦争終結と英仏同盟国側の勝利により、パレスチナとヨルダンはイギリスに、レバノンとシリアはフランスの委任統治領になりました。 上記の通りイギリスがアラブ人とユダヤ人双方に対し相反する約束をしたことが、二つの民族主義の衝突が今日まで続いているのである。
ちなみにこの当時パレスチナの地にはアラブ人が9割を占めており、歴史的、文化的にはアラブ人の土地だったと僕は考えています。
次回に続く
注1古代ローマ軍にパレスチナを追われて以来、世界各地に離散していたユダヤ民族は欧州、ロシア等の世界各地で迫害を受けてきた独立国家を持たないユダヤ人が母国(旧約聖書で、神がイスラエルに与えたという約束の地。) 「乳と蜜の流れる地」とよばれた。パレスチナの帰還をめざして起こした民族国家建設のための運動