第2章 イスラエルの民族主義

2023年11月09日

第2章

進みゆくイスラエルの民族主義(ナショナリズム)

今回はオスロ合意以降、現在のパレスチナ戦争までのイスラエルの右傾化?について考察してみましょう。

オスロ合意調印の際には、当時のクリントン米大統領が見守る前でパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長とイスラエルのラビン首相が歴史的な握手を交わし、一時的に楽観論が台頭した。

このラビン首相はイスラエルの軍人出身で国防軍参謀総長を務め第3次中東戦争を勝利に導きました。退役後政治家に転身し1995年までに3度首相を務めました。

労働党の政治家として首相になるとペレス外相と協力して和平家に転じました。以前はパレスチナのインティファーダ(注1)を厳しく弾圧する強硬派でしたが前述の通りオスロ合意でパレスチナ暫定自治協定(注2)を締結し、アラファトラビンノーベル平和賞を受賞した。

しかし、ラビン首相は1995年に狂信的なユダヤ教徒の青年に暗殺されたのです。

(注1)           パレスチナ人の民衆(女性、子供を含む)が投石などを主体とした抵抗によるパレスチナ解放運動

(注2)           イスラエルとパレスチナ解放機構との間で成立した協定で5年間のパレスチナ暫定自治を行い、3年目までに採取的地位に関する交渉を開始する予定で、エルサレムの帰属、パレスチナ難民の処遇、安全保障、国境策定が含まれるが、実現できませんでした。しかしながら遂にパレスチナ暫定自治行政府が成立し、パレスチナで選挙が実施され、代表にアラファトが選出された。ところが、ガザ地区では2006年にはヨルダン川西岸のPLO主流派ファタハ(アラファトの武装勢力)のアッバス政権がイスラエルと和平を進める政策を打ち出していました。これに反対するハマス(イスラム過激派組織)がガザ地区での選挙で勝利し政権を握ります。現在ガザ地区に住むパレスチナ人の一部にはハマスに退陣を要求していて、デモすら発生しています。

 

2022年12月にイスラエルのクネセツ(国会)で第37代内閣が正式に発足し、「リクード」のベンヤミン・ネタニアフ党首が首相となりました。

今回の連立政権には極右政党や宗教政党から多くの閣僚が入閣して「イスラエル史上最も右寄りの内閣」と呼ばれています。

司法制度改革の一つとして最高裁判所の権限を弱める法案を今年の7月に可決されました。さらに最高裁判所の判断を議会が覆すことを可能にする制度の変更も検討しています。

これは民主主義の根幹である司法の独立と三権分立を否定することであり野党やこれに反対する市民は抗議活動をしています。

 更に前述のオスロ合意に基づきヨルダン川西岸地区はガザ地区と同様に「パレスチナ自治区」になりましたが国土の60%以上にユダヤ人が違法に入植し、イスラエルの軍事支配下におかれ常に監視されています。各地にイスラエル入植地が作られ、隔離壁が建築されユダヤ人の安全が担保され、パレスチナ人の生活圏を分断しています。

国連は2003年にも、イスラエルが占領地で建設する分離壁についてICJ(国際司法裁判所)に勧告的意見を要求。ICJは、04年に「国際法違反」と認定したが、イスラエルは違法にパレスチナ占領を現状のまま続けている。